ちんぶろ

好きな人や物が多すぎる女子の活動記録、雑感、あれやこれやをちぎっては投げちぎっては投げ

登り切った先の景色を見る覚悟はあるか

   

新卒一期生としていまの会社に入社してそろそろ2年が経過しようとしている。早い。

春からは後輩も増えるし、来年の春に後輩となるであろう学生さんたちが毎日のように面接に訪れている時期でもあるこのタイミングに、せっかくなので綴っておこうと思う。

入社して間もない頃、社長ことケンタロさんと話をしていて(どのタイミングでそういう話になったのかは全然覚えていないのだけど)「どんなにペパボのことを好きだと言ってくれるとしても、そのことはすごくありがたいけれど、仲間になるよりファンのままでいるほうがそのひとにとって幸せな場合もある」ということを社長ことケンタロさんから聞いて、はっとしたと同時に妙に納得したことを思い出している。

たしかそんなことを社長ことケンタロさんブログにも書いていたかもしれないなと思ったのですが見つけられなかったのであとでもう一度読みますね。(宣伝)


さて。
個人的に、「ファンであること」と「仲間になること」の間にはものすごく大きな壁があると思っている。

自分なりに噛み砕くと、「仲間になること」とは、それまで“ただ好きで、楽しんでいればよかった”(というと語弊があるかもしれないけどあえてそういう表現をしよう)ものに“責任”が伴うということ。

もちろん、好きなものに囲まれて働くことが出来るなんてこんなに幸せなことはない。
憧れていたものものが、いま目の前にある。手を伸ばさなくたって触れられる。
それは想像するに、きっと夢のような時間。

けれど、自分がいま存在しているのは夢ではなく紛れもない現実。
「入社」する以上、そこにあるのは殆どの場合において営利団体だ。
どんなに楽しいことをしていても、会社がお金を得られなければ倒産してしまう。
(だったら非営利団体に所属すればいいじゃないかという選択肢もあるにはあるだろうけれど、ここでは割愛)
そうなってしまえば、どんなに楽しさを伝えたくても伝えられなくなってしまう。
結果的に、ファンを悲しませることになってしまう。

そうならないために、時として中の人は様々な対応を迫られる。
もしかすると楽しくない一面だって見えてしまうかもしれない。
もし自分がファンのままだったら顔をしかめてしまうようなことも、中の人としてせざるを得ない事態が起こるかもしれない。
そのことに対して、もしかすると気持ちのよくない反応が返ってくることもあるかもしれない。
(たとえ長期的に、結果的に見ればそれがファンにとってプラスになることであったとしても)

そういうときに、ただ好きでいるだけでは駄目だということに気づかないままその世界に飛び込んでしまっていたとしたら。
「これは好きじゃないからやりたくない」「あんなに好きだったのに、幻滅してしまった」という気持ちを抱くことになったとしたら。
それは会社にとっても個人にとってもひどく不幸なことだ。
もしかすると、好きなものすら失ってしまうことにもなりかねない。

好きなことを仕事にすべきだというひとと、いやそうじゃない、好きなことは仕事にせずに趣味にとどめておくのがよいというひとがいるのはおそらくこれが理由なのかも。

それでもわたしが好きで好きでたまらなかった会社の中に飛び込もうと思ったのは、その責任すら愛せるという妙な自信があったからだ。
目の前で繰り広げられるインターネットの可能性と、そこに責任を持つということに、異様なほどの魅力を感じてしまった。
ただ好きなだけでは飽き足りなくなってしまった。

そしていま、この選択に間違いはなかったとわたしは改めて思っている。

入社するにあたってのわたしの勝手な目標の一つに、憧れのひとから一目置かれる存在になる、というのがあって、だからこそ尊敬するひとの多いこの会社で働きたいと強く願っていたのだけれど、入社してしばらく経って、もともと憧れていたひとたちから(お世辞もあるかもしれないけどそういうのわかんないからさ)尊敬するよって言ってもらえるようになれてきたということが単純にとても嬉しい。

それは、ほんの小さなことかもしれないけれど、まぎれもなくわたしが描いてきた夢のひとつが叶った瞬間。

更に言うと、こんな入社まもないペーペーの人間に(再・お世辞もあるかもしれないけどそういうのわかんないからさ)尊敬すると素直に伝えてくださるひとたちの仲間になれて、今こうして一緒に働けているということが、ペパボの「ファン」から「仲間」になれて本当によかったと確信させてくれる大きな要因のひとつにもなっている。

最終面接の直後に書いたと思われるポストが残っていたのでここでなんとなく引用してみる。

反感を買うかもしれないと思いつつ敢えて書くと、わたしは「話を聞いてもらっただけで幸せ」ではない。だって自分の気持ちを伝えても、振り向いてもらえなかったら悔しいじゃない。それだけで厭になることは勿論ないけれど、どうやったって振り向いて欲しいじゃない。コミュニケーション成立させたいじゃない。それだけの思いを滾らせてここまでやってきたのだ、わたしは。

(小生意気なこと書いてるなーウフフ)

好きに責任を持つということは、信念を容易には揺るがせないと覚悟するということ。
それはとてもむずかしいこと。
けれどわたしは、根底に「好き」という気持ちがあるということは、困難に立ち向かう上でも、きっとなによりも強い基盤となるはずだと信じている。
そして、覚悟を決めて飛び込んだ先の世界には、きっと想像もしないようなめくるめく世界を創造することができる。
ほかのだれでもない、わたしが、あなたが。その手で。

覚悟はいいか?
オレはできてる。

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