10日間会話を絶ってヴィパッサナー瞑想の修行をした
ゴールデンウィークを使って、ずっと行きたかった10日間のヴィパッサナー瞑想合宿に参加してきました。
ヴィパッサナー瞑想とは
ヴィパッサナー (Vipassana) はインドにおける最も古い瞑想法の一つです。長い年月の間に失われていましたが、2500年前にゴータマ・ブッダによって再発見されました。 ヴィパッサナー とは、「物事をあるがままに見る」という意味で、自己観察によって自己浄化を行う方法です。まず心を集中させるために、自然な呼吸を観察することから始めます。そして研ぎ澄まされた心で、精神と肉体が常に変化しているというその性質を観察し、無常、苦しみ、そして無我という普遍的な真実を体験を通して学んでいきます
なぜやろうと思ったのか
瞑想すると言っても、別に悟りを開きたいとか高尚な目的を持っていたわけではなくて、シンプルに言うと、次の2つを達成したかったのが理由です。
- 集中力を高めること
- 自己評価の低さを改善すること
普段いろいろなことに興味を持ってあれこれ手を出したりする性分なのだけれど、一方でその熱意が続かなかったり本質が見えなくなってしまったりすることもままあるというのがここ数年の悩みで、悩みを自覚していても状況が改善しないということが、自己評価の低さというか自信の喪失につながるというよくない流れを感じていました。
瞑想が仕事効率化にいい、とかマインドフルネスが流行っている、みたいな話はそこかしこで耳にしていてもちろん興味はあったのだけれど、見よう見まねでやってみても正しい方法なのかわからなくて集中できないし、目を閉じて座るとすぐに寝ちゃうし、毎回挫折していました。
この合宿なら10日間みっちり瞑想のやり方を学べるし、もっと言えば、お世辞にも誰でも楽しめるとは言えないコンテンツにゴールデンウィークというせっかくの連休を投資して参加する・やり遂げるという経験が、その後の人生で自己評価を少しでも高める材料になればいいなと考えた上での参加申し込みとなりました。
合宿中の戒律
わたしが参加したのはヴィパッサナー協会の日本支部が運営する10日間の瞑想コース。
約60名が同じ敷地内で10日間一緒に過ごしますが、期間中、参加者は以下の戒律を必ず守らねばなりません。
- 生き物を殺さない。
- 盗みを働かない。
- 一切の性行為を行わない。
- 嘘をつかない。
- 酒・麻薬の類を摂らない。
- 踊りや歌などの娯楽を避け、装身具などで身を飾らない。
- ぜいたくな高い寝台で眠らない。
この他、瞑想に集中するため、スマホやPCを触ることはもちろん、音楽やラジオを聴いたり読書をしたり写真を撮ったり、メモや日記を書くこともNG。つまり一切の娯楽が絶たれます。関係するものを持ち込んだときは、初日に運営スタッフに預けることになります。
お酒もタバコも禁止なので、嗜好してる方にはより厳しい環境かも。
敷地内で男女のエリアが分かれていて、それぞれのエリアに共同の食堂やシャワー、トイレがあります。宿泊はドミトリー(テント泊になることもあるようです)で集団生活を行います。
(最後の戒律を守るためなのかわからないけどベッドはめちゃくちゃ硬かった…)
10日間、誰とも話してはいけない
ここがいちばん驚きポイントなのですが、合宿中は他人との一切のコミュニケーションが禁じられます。
これは「聖なる沈黙」と呼ばれていて、10日間、最終日のお昼を過ぎるまで、基本的には誰とも話すことができません。(緊急時は除きます)
瞑想中はもちろんのこと、休憩時間も食事のときもシャワー室を使うときも、目を合わせることすらしてはいけません。
ジェスチャーや筆談も禁じられます。
自分のペースで、なおかつ他の参加者に迷惑をかけないように、自分の行動を律していくことが求められます。
一日のスケジュール
10日間、基本的には以下のスケジュールで生活します。
4:00:起床
4:30~6:30:ホールまたは自分の部屋で瞑想
6:30~8:00:朝食と休憩
8:00~9:00:ホールにてグループ瞑想
9:00~11:00:ホールまたは自分の部屋で瞑想
11:00~12:00:昼食
12:00~13:00:休憩
13:00~14:30:ホールまたは自分の部屋で瞑想
14:30~15:30:ホールにてグループ瞑想
15:30~17:00:ホールまたは自分の部屋で瞑想
17:00~18:00:ティータイム
18:00~19:00:ホールにてグループ瞑想
19:00~20:15:講話
20:15~21:00:ホールにてグループ瞑想
21:00~21:30:自由時間
21:30:就寝
食事と休憩時間以外はほとんど瞑想。シャワー室は休憩時間にのみ使えます。
朝4時に起きて夜9時に寝る生活は最初不安しかなかったけれど、途中で慣れたので人間の適応能力ってすごいと思いました。
体験記
ここからは、わたしが実際に10日間合宿を続けて感じたことを書いていきます。
先ほどご紹介したようにメモなどは一切持ち込めないので、すべて合宿から帰宅する途中の電車の中で思い出しながら書いたものです。
あくまでも個人の感想で、すべてのひとに当てはまることではないということは最初に明記しておきます。
実際に同じ合宿に参加していたひとたちに合宿後に話を聞いただけでも十人十色の感想が返ってきたので、本当に人によって感じ方は違うのだと思います。
1〜3日目:雑念がすごい
呼吸の仕方を教わるのではなく、ただ自然な息が入ってきたり出て行ったりするのを客観的に感じるようにと言われる。瞑想ホールにはクッションも毛布もたくさんあるので好きに利用できる。座りっぱなしなのは特に苦痛ではなくて、ときどき足が痺れるので組み替えたりしてた。
最初は息をすることに集中するだけでわりと手一杯だし、なにより瞑想中はとにかく雑念がすごくて、気づいたら全然別のこと考えてたりしてた。考えないようにするぞ〜って意識しても数分ももたなかったと思う。集中力皆無!
あと数日経った頃から、楽しい妄想が頭に浮かぶたびに顔がにやけるようになってしまって面白かった。体と心の距離が近づいているせいなのかもしれない。
4日目:急にハードルが上がる
やっと鼻の周辺の小さなエリアで自然と呼吸の流れる感覚を感じ取れるようになったな〜、と思ったところで瞑想のレベルが一段階上がることを知らされる。
4日目の前半まではどうやらアーナパーナ瞑想という瞑想法で、ヴィパッサナー瞑想の修行は今日から始まるらしい。最初に説明されたのかもしれないけどあんまりちゃんと聞いてなかった…。
これがほんっとにしんどくてびっくりした!!!!!!
決まった場所の感覚を感じ取ることに集中するだけで大変なのに、ヴィパッサナーはその感覚を頭のてっぺんからつまさきまで、全身のすべての部分で感じ取っていかないといけない。しかも何の感情も伴わず、客観的に、平静さを保ちながら。
最初のレクチャーと実践の1時間半、指導に合わせて意識を動かす努力をするだけで途中顔をしかめるくらい苦しかったし、へとへとになってしまった。
この頃から、ホールでのグループ瞑想の時間はずっと目を開けず、手足も動かさないよう言われる。
急に首とか腕とか痒くなる瞬間があっても動かしてはいけない。これは一時的なもの、移ろいゆくもの、と念じながらとにかく気にしないように努めていた。大変そうに見えるけれど、意外となんとかなる。
5日目:記憶があんまりない
ヴィパッサナーが大変だと思ったのは実は最初の指導のときだけで、あとはそうでもなかった。なぜなら意識を動かしながら感覚が感じ取れない部分に遭遇すると、絶対にそこで集中が途切れてまったく別のことを考えてしまっていたからです!つまり瞑想できていない!
どれくらい集中できなかったのかというと、頭のてっぺんから意識を動かし始めて首あたりに来たときには(この頃のわたしは首と胸元、二の腕と太ももあたりの感覚を感じ取るのがとても苦手だった)もう別のことを考えてしまっている。
いかんいかん、と思って戻ってきて胸元に意識を集中すると、また次の瞬間には別のことを考えている。
集中が続かなければそりゃ座ってるだけなんだから疲れないけどまったく修行にはなっていない。
困ったな、と思いながらも、とにかく続けないことにはなにも始まらない(繰り返しそう指導される)ので意識を飛ばしては頑張って戻し、意識を飛ばしては戻すという作業を淡々と繰り返していた。
6日目:急に呼吸で意識をコントロールできるようになる
引き続き意識があっちにいったりこっちにいったりしていたけれど、6日目の午後あたりに突然、深い呼吸をすることでよそに飛んでいって雑念にまみれていた意識を瞑想に戻すことができるようになった。
何かきっかけがあったのかもしれないけれど、覚えていないので些細なことだったのだろう。
徐々に感じ取りにくかった部分の感覚も感じ取れるようになり、それに連動して意識を自分に止めておける時間も増えていった。
7日目:気合を入れて荒療治
6日目に微かながら感覚を感じ取れるようになったとはいえ、それは本当に微かな感覚で、自分が本当に感じているものなのか判断するのも難しいほど。
観察する意識と実際の感覚の間に分厚い膜が張られているような、頭の中に深い靄がかかっているような、はっきりしない感じがずっと続いていた。
これは普段の生活でもたまに感じる、自分と物事の距離が上手く計れないと感じる感覚と似ていると思った。ここでこの靄を取り払うことができたら、もしかしたら普段の生活でもクリアな思考ができるようになるかもしれない。
というかこれをなんとかしないとここに来た目的を達成できない!と強く思い立ち、まずは頭の先から爪先まで、微かでもよいから感覚を感じ取りつつ、意識を他に逸らすことなく巡らせることを目標に努力を始めた。
それができると次は頭から爪先、爪先から頭。集中力が続くようになると今度は少しずつ感覚をきちんと感じ取ることにも意識を寄せていく、というように、段階を踏んで小さな挑戦を続けていくと、少しずつではあるけれどできる範囲が広くなっていった。
夕方の瞑想時には、割とくっきりした形で全身の感覚を感じ取ることができるようになってきたと思う。
8日目:昨日できたことが難しい
7日目にがんばって全身の感覚を感じ取れるようになったと思いきや、この日は朝からてんで感覚が鈍ってしまった。まったく感じ取ることができない。
普段から朝起きてすぐは感覚が鈍くて、午前中も調子が出にくいことが多かったのだけれど、お昼を食べてお昼寝したら毎回復活して午後はパフォーマンスが上がるというサイクルだったので、この日もそうなるかなと思っていたけれどどうにも駄目。
昨日までできていたことがうまくいかない、残り3日しかない、という焦りがどんどん浮かんでくる。
ヴィパッサナーの基本は客観的に観察すること、心を平静に保つこと。渇望も嫌悪も生み出してはいけない。このことを思い出しながら、ただひたすら焦りを抑えて耐える。
この「焦りを抑えて」というところ、今思えば瞑想を始めた最初の頃はできなかったかもしれない。
夜頃になってようやく感覚が戻ってきたときは、耐えながら続けてよかったなあという気持ちに。
こういう、小さな成功体験の積み重ねがなかったら毎日を乗り切れなかったかもしれないなというのは強く思うところ。
9日目:聖なる沈黙を守る最後の日
10日目も残されてはいるけれど、ヴィパッサナー瞑想そのものの修行はこの日で最後なのでとにかくもうひと頑張りしようと思って座る。
こういう前向きに努力しようという気持ちになれていること自体、期間中に得られた成果のひとつだなと思えて嬉しい。
この日は全体的に好調で、ひと呼吸で頭から爪先まで全身の感覚を感じ取ることができるようになっていたので、それぞれの部分を注意深く観察することに集中することもできていた。
結局初日からこの日まで雑念をまったく消すことはできなくて、ふとしたタイミングでまた別のところへ意識が飛んで行ったりもしたけれど、深い呼吸をすれば意識を取り戻せることも知っていたから、焦ることなく修行を続けることができた。
修行の本当の効果を体験するためには、もっと真面目にきちんとしっかり懸命に修行すべきなのだろうけれど、このあたりは当初の目的も相まって自分の中では割と緩い基準で考えていたので、自分のいま手の届く範囲で、自分が目指すところにある像を実現するために最大限の努力をしようと考えていた。
瞑想の途中で自分の意識が深いところに潜っていって、それを客観的に眺めて動かす(もちろん全身の感覚も感じ取れる)という経験があって、これはどういう状態なのだろうと不思議だった。
10日目:会話が解禁される
10日目は朝食後の瞑想でメッターバーヴァナー瞑想という愛の瞑想を教わる。社会生活に応用できる瞑想法を教わるものだとばかり思っていたので、急に愛と平和を祈る瞑想だと言われて戸惑いがすごかった。
この瞑想が終わった瞬間から聖なる沈黙は解かれ、会話が解禁される。ここで初めて周りのひととコミュニケーションをとることが許された。ずっと隣で瞑想したり食事をしたり、濃密な時間をともにしていたひとたちの顔をようやく見ることができる。(目を合わせることも禁止されていたので)
いろいろと話をしてみると、しんどかったというひとが意外と多いことに驚いた。同時にとてもよかったとも言っていたけれど。
わたしは瞑想自体も割と楽しむことができたし達成感もあってそれほどしんどいと思う機会はなかったけれど、もしかしたら稀なことなのかもしれないと思った。
ランチで話したひとに「普段の動きを見てたけど、物事を淡々とこなすタイプのひとだね」と言われたので薄々感じてはいたけれどやっぱりそうなのかもしれないなあと思った。
午後の瞑想、会話をしたことで雑念も生まれたけれど、いままでの体験による学びをきちんといかせた感じがしてとても有意義だった。
意識が深く潜る感じはここでも体験して、今度は圧をかけられているというか、下から引っ張られる感じというか、そんな感覚を味わった。
総括
瞑想中の雑念、ひとによっては過去の苦しみや怒りが思い出されるということだったのだけれど、わたしは全体的に怒りや悲しみみたいな感情は湧いてこなくて、最近見た動画とか悩みごととかそんな感じのイメージばっかりだったので基本的に本質がポジなんだなと改めて実感しました。
あと印象に残っているのは、浮かんでくる雑念の種類と順番。
短期記憶として蓄積されていた情報のストック→普段は意識しないけれど心に引っかかっていること→ゼロから生み出される妄想
と、順を追うごとに自分の深層に意識が潜っていく感じがとても面白かったです。
(余談だけれど、前半で浮かんでくる雑念の大半がキンプリ関連だったので電子ドラッグの名は本物だと思いました。キンプリはいいぞ)
なにはともあれ10日間(前後含めると12日間)とても有意義な経験ができたので、参加して本当によかったと思います。
これだけ異世界のような空間で過ごしていたので翌日から社会復帰できるのか若干不安でしたが、出会った同僚に「よかった、ちゃんとコミュニケーション取れてるね」って言われたので大丈夫だったのだと思います。
一度10日間コースを終えると短い期間のコースや各所で行われている一日だけの瞑想会にも参加できるようになるので、この感覚を忘れないように活用していきたいと思っています。
自分で決めたゴールに向かってちゃんと努力できたことは少なくとも自信につながったと思うので、当初の目的はきちんと果たせたかなという感じ。
なによりも「なにかあっても自分の体制を立ち直らせる方法」がひとつ手に入ったことは本当によかったと思います。
合宿中に繰り返し聞いた、「本当の知識とは人から伝え聞いたり書物を読んで得たものではなく、自分自身が体験したもののみを指す」という言葉、まさしくこの合宿を通して実感できました。
万人に勧められるものであるとは言えないけれど、興味があるひとはあまり重く考えずにまずは体験してみるとよいと思います。