バースデーワンデー
あっという間に一年は過ぎ、今年もまたひとつ歳を重ねました。
お祝いの言葉をかけてくださったみなさま、ありがとうございます。
同期のみんなからは年齢と同じ数の真っ赤な薔薇の花束(人生で初めて!!ときめきシチュエーション!!!!)と寄せ書き入りのだるま、同じ部署のみなさまからはminneで買った可愛いブローチ付きのニット帽をいただきました。
ランチどきには同期が会社近くのでるぴっぽでお祝いしてくれた。
(写真が暗くて見えづらいけど)ムーミンクッキーで飾り付けられたバースデーケーキ、生クリームも大きなイチゴもとっても美味しかった。
いつも親切だけどぶっきらぼう(失礼)なお店のシェフがプレゼントとケーキが出てくる瞬間にBGMも変えてくれて、写真も撮ってくれて、その上なんと、帰りがけにプレゼントまでいただいてしまった!
しかも手渡された袋にこっそり入れてくださっていたので、お店を出たあとの帰り道に気づいてみんなで路上で大声を上げてしまったという…。
やさしすぎる!!!!シェフ(涙)!!!!!
でるぴっぽ、昼はもちろん野菜たっぷりの優しくて美味しいランチが堪能できる上に夜も素敵だと聞いているので、みなさまぜひ行ってみてください…
(あんなに美味しいのに全然混んでなくて嬉しいんだけどいつもびっくりする。隠れ家すぎなのか…?)
好きなひとやものが多すぎる、というのはこのブログのdescriptionにも入れているくらいわたしの性質をよく表している言葉だと思う。
住む場所も仕事の内容も1,2年に一度変わり続け(同じ会社の中にいてこれだけいろんなことをさせてもらえているのは大変幸いなのだけれど)、普通に過ごしていれば減るはずのない名刺もあっというまに在庫切れ、「この週末はどう過ごしてたの?」という問いへはたいていどこかしらの催しに出かけていたと答えるような、行き当たりばったりで駆け抜けてきたこの数年。
好奇心旺盛といえば聞こえがいいけれど、この歳になってまだあちこちうろうろさまよっているのが果たしてよいことなのか、これを続けた先、10年後に振り返ったわたしの背後に積み上がっているものは果たして何なのか、それは望んだ形なのか、輪郭が不鮮明な不安はいつも心の隅に引っかかっている。そして「最終的になにがしたいの?どうなりたいの?」と囁く声とともに、その輪郭は少しずつ、少しずつはっきりと形を帯びてきている気配もなんとなく、する。
30歳の(あるいは2016年)の目標は、と聞かれて特段なにも思いつかず、歯医者と皮膚科に行くことくらいしか答えれれなかったのだけれど、それは目標ではなくやらなければならないことじゃないかと言われて仰るとおり…と黙りこんでしまった先日。
去年も一昨年も同じようなことを言っているけれど、「歳を重ねて、わたしはそこに比例して進歩しているのかしら?」なんていう台詞はいつまでたってもいくつになっても人生の命題である気がするし、きっと満たされる日は来ないんだろうなあ。
30歳になったからといってなにもしなくても霧が晴れるようにその不安が消えるわけでは決してなく、むしろこれからずっとわたしに寄り添っていくんだろうなあという気はぼんやりとしている。
とある種の踏ん切りがつけられるくらいにはおとなになったのかもしれない、良くも悪くも。
まあ、うまくやっていけるかどうかがきっとこれから数年の勝負になるんだろう。
どんな結果になったとしても、それを他の誰でもない、自分が積み上げてきたものだときちんと受け止められるように過ごしていこうと思います。
それでもやっぱりいくつになっても、クリームソーダをオーダーしたい乙女心は許してほしいし、成人して10年経っても、お誕生日にプレゼントをおねだりしちゃう幼心もまだ許してほしい。
東京と福岡の同僚が贈ってくれた。
絶妙にわたしのツボを突くプレゼントありがとう…
これから続く人生も、どうぞよろしくお願いいたします。