芸術は可能か?
アート・バーゼルに出展されている、ブラジルの貧困層の街を模した川俣正のインスタレーション作品「ファヴェーラ」が(おそらくは低所得層の)若者たちに占拠され、機動隊の突入によって強制退去させられた事件。
世界中のセレブが集まる会場に、その対極にある貧困層の街を模した作品を展示し、その中でセレブ達を寛がせることによって、アイロニーを芸術という手段を用いて見事に表現したかと思われたこの作品は、おそらく彼らのシナリオには登場すると想定し得なかった貧困層と機動隊の登場によって一気に現実という舞台に引きずり出された。
果たしてその瞬間に芸術はなにをもたらしただろう。
真っ先に思い浮かんだのは、古橋悌二の「芸術は可能か?」という一言。
「我々現代社会を生きる人間にとって冒されざるを得ない精神の病巣を治療する手段としてアートはやはり、有効な手段と成りえるのだ。」
芸術が、芸術という枠を飛び越え(というより、そもそも枠などということさえ捉えずに)社会に影響を与えるものでありうるという古橋悌二の言説は、果たして彼の死後20年経ってどう世界に実証されているのだろうか。
逆にある意味では、若者と機動隊の衝突という現実の出来事ですら、「ファヴェーラ」という芸術の枠内に収まる出来事であるかのように捉えることのできる可能性もなくはない。
それは、もしかすると、芸術が可能であり、今後の進展によっては、“現代社会の精神の病巣を治療する手段”として芸術が機能しうることを端的に表現していると言ってもいいのかもしれない。
なんとなく、その可能性はまだまだ薄いものであるような気もするのだけれど。
兎にも角にも、今後の進捗を注視していきたいところ。