ちんぶろ

好きな人や物が多すぎる女子の活動記録、雑感、あれやこれやをちぎっては投げちぎっては投げ

第一回「メディア芸術オープントーク」に行ってきた・2

   

前半のまとめはこちらをご覧ください。

 

後半は参加者の質疑応答を中心に議論が進みました。

1)メディア芸術とメディアアートの違いを海外にどう説明しているのか?

ここで、そもそもメディア芸術とはなんぞや、という話をしておきます。

メディア芸術、というのはいわゆる政府が決めた法律用語で、文化芸術振興基本法第九条には以下のように定義されています。

 

映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)

そして、メディアアートというのは上記の後半部分を指すというのが一般的な解釈です。

 

で、英語ではどのように表記されるかというと、

メディア芸術=media arts

メディアアート=media art

複数か単数か、という違いです。

(おそらく、メディアアートを内包するメディア芸術、というイメージ)

 

海外ではメディア芸術が確実にメディアそのものとしての機能を果たしているようで、日本の漫画やアニメーションとの出会いがきっかけで研究者になった若者を何人も見た、と先生方は仰っていました。*1

重要なのは、彼らが作品に触れるときはそれがメイドインジャパンだと必ずしも認識しているわけではないということ。

日本政府はクールジャパン戦略と称してその作品が日本のものであるということを必死になってアピールしようとしているけれど、どことなく格好悪いのは、そこに金儲けの匂いが漂っているからだ、とも仰っていました。(個人的にこれは仕方のないことだと感じています)そんなタグをつけなくても、日本のメディア芸術の魅力は十分に受け入れられている、と。

 

一方でメディアアートは、ジャンルとしては狭小で、コンテンポラリーアートのアバンギャルドな一分野にしかすぎない。そのうち消えてしまう可能性もある、非常に流動的なものです。

「海外でメディアアートが兵器開発に伴う科学力の発展に付随していたのと違い、日本のそれはどちらかというと家電的な性格を持っている。メディア芸術に内包されるのは、ある意味で伝統芸としてのメディアアートが妥当なのではないか」

と藤幡先生は仰っていました。*2

 

2)メディア芸術のアーカイブについて

近年の議論はコンテンツとしてのメディア芸術にばかり注力している傾向があるのではないか、という指摘に対しては、必ずしもそうではないという返答がありました。実態はさておき、技術更新の続くメディア社会において、一点物のメディア芸術をどのようにアーカイブするかという点は以前から議論の俎上にのぼっているようです。

が、肝心の解決策はまだ見出せていない状態なのだと思います。

 

ところで、アーカイブとコレクションはどう違うのか?といった疑問が先生方からも挙がっていました。

ざっくり検索してみたところ、両者を厳密に区別する定義はないようです。

主観が入ればコレクションか?しかし、収集が人為的行為である限り、そこには何らかの主観が入り込むことは避けられません。

では、相違点はどこか。個人的には、

コレクション=収集行為

アーカイブ=収集+保存+継承

だと考えています。すなわち、公開を前提とした収集がアーカイブなのではないでしょうか。

これはあくまで個人的な見解にすぎないので、本当はもっと様々な議論がなされてしかるべきだと思いますし、実際に研究されているのでしょうけれど…。

 

藤幡先生は、出来上がったモノだけでなく、クリエイションの場を残すことが今後のメディア芸術のアーカイブにとって重要だという指摘をされていました。(この点については後述します)

また、個人的に面白かったのは島本先生の「ハードウェアの修復も、従来の絵画修復と同じ枠組で取り組むようにしてはどうか」という提案。作品の保存継承についての枠組を考える猶予が残りわずかとなった今、弥が上にも結論を急がねばならない時期にきているのは確かであるようです。

 

予想通り後半のボリュームが大きくなりそうなので、

ひとまずまとめたところまでを…。

再度追記します。

*1:「神の雫」を読んで、購入するワインを選ぶフランス人の話は特に印象的だった

*2:これは国立メディア芸術総合センター(仮称)基本計画の内容と合致します。

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