『エキソニモの「猿へ」』を鑑賞した興奮を記録しておく
エキソニモ九州初の個展『エキソニモの「猿へ」』を観てきた。
九州初の個展、しかも過去の作品を再構築した回顧展ということで、もうなにがなんでも行かねばと思っていた。
イントロダクションも90年代の初期作品たちも、どれも五臓六腑に沁み渡る感じでテンション右肩上がり。
なかでも、2009年の原宿VACANTでライブを観て震えるほどの興奮を覚えた「DesktopBAM」がそのまま再現されていたのを目の前にしたときには思わずその場に立ち尽くしていた。
よみがえるあのときの興奮。
でもそれでいて、目の前にあるのは当時発売されていなかったMacBook Air。
しかもデスクトップに表示されている時刻はいま・この時間というニクすぎる演出。
他にもこういった、時空を超えた演出が随所に隠されていて、たとえば時間が巻き戻ったり停止したりする断続的な映像の中にあって、時計の分針だけが正しく時計回りに時を刻んでいるというこの演出。
こんな表現しかできないのが悔しいけれど、もう、とにかく、センスが抜群なのだ。美しいほどに。
やばい。
なんなのだろう。
解体や破壊を手段として取りつつも、アートやインターネットの歴史や文脈をきちんと辿り、隅々まで計算され尽くしている確信犯的な強靭さ。
神は細部に宿るというけれど、わたしがエキソニモの作品たちを観ていたそのとき眼前に立ち現れていたのはまさにそれで。
なんというか心に浮かんだのは「ああ、ゴットは、存在する。」
展示されている作品たちを「基本的にコンピュータを中心とするメディアテクノロジーを作品に内包することによって成立したひとつのジャンル」(
メディアアートの教科書より)という意味でのメディアアートとして分類するならば、デジタルデバイスという複製技術を作品に用いることによってメデイアアートから剥奪されてしまったはずのアウラが、エキソニモの作品には間違いなく存在していた。
(ここまで書いておいて作品そのものはオリジナルである、その場で体験するという点で、複製技術時代の芸術作品には分類できないような気もしてきた)
初期の頃から現在に至るまでの作品の数々をいま・ここで体験しているわたしたちはまさに、「時」と「空」のあいだに、ユニバースとユニバーサルの間のインターフェースとして存在しているわたしたち。
すべての作品の前で息を呑むという体験を繰り返し、気がついたら閉館時間になっていた。
興奮のあまりこうしてブログに感想を綴っているわけだけれど、受け取った情報量の多さもあいまってなにを言ってるのかわからねーと思うが(以下略)的な文章になってしまった。まあいいか。
とにもかくにも、最高の体験でした。
会期は今週末、2013年12月1日まで三菱地所アルティアムで。
可能な限りこの作品たちは、実際にこの場でみたほうがよいと思われます。