ちんぶろ

好きな人や物が多すぎる女子の活動記録、雑感、あれやこれやをちぎっては投げちぎっては投げ

ままごと「わが星」の引力

   

劇団ままごとの「わが星」を観てきました。

観劇は4年ぶり。当時、□□□三浦康嗣さんが音楽を担当しているという情報に惹かれて再演を軽い気持ちで観に行ったところ、完膚なきまでに打ちのめされ、それからずっと忘れることのできない個人的エポックメイキングな作品。

(そのときは三浦さんも会場にいらしていて、使用曲が収録されているアルバムを物販で購入してサインをしてもらったのはとてもよい思い出)
そして4年のときを経て迎えた再々演。

案の定、というか予想を超えて、開始4秒でわたしの涙腺は崩壊した。
まるで自分がどうにかなってしまったかのように。
4年前、あるいは100億年前のわたしと同じように。

わたしたちは誰しもが、平等に訪れては去っていく、一分一秒のフレームワークの中に生きている。

わたしたちが見ている、夜空にきらきらと輝く星の光は数万年前に放たれたもの。星そのものは、もうそこにはいないかもしれない。気づいたときには、会えない、かもしれない。

生まれて死ぬまでに起こるさまざまな出来事、出会いと別れ、何気ない日常のくりかえし、そこに家族や友達がいるということ。
そのことに気づくのは、もしかしたらすべてが喪われたあとかもしれない。

光速を超えれば数万年の距離だって縮まる。前に進むことも、後ろに進むこともできる。それは自分の時間を引き伸ばすことであり、一方で相対的に、周りの時間を縮めること。

見ている光が消えるとき、見ている「僕」も消えていく。
それでも「僕」は進む。前に。定められた運命という坂道を、全速力で。
そして辿り着く。生きている地球に。

「あー、地球に生まれてよかった。」

このコピーのダブルミーニングに気づいてしまったのは観劇の翌日。

地球に生まれたわたしたち、地球として、おばあちゃんとお父さんとお母さんとお姉ちゃんのもとに生まれたちーちゃん。

どんなに遠くからでもわかる、今日も灯りがついている
あれこそわが家、わが星、今日も星は輝いている

ちーちゃんのそばに、ずっとずっとそばにいた、けれどやっぱり、大人になるにつれて少しずつ離れていってしまうつきちゃん。

ちーちゃん、あのときアポロをくれてありがとう
あの日がなかったら、あたしきっとずっとひとりぼっちだった
ずっと、ずっと、そう思ってた、あの日からそう思ってた

わが星、わが家の、何気ない日常の、変わらない明日がくることの尊さ。

母「明日は?」
父「あぁ、いつも通り」
母「はい、」
父「うん、いつも通り」

そしてやっぱりこの作品に必要不可欠なのは、役者さんの演技力と、□□□三浦さんの音楽。

とくに主人公のちーちゃんは飛んでも跳ねても転がっても、駄々をこねても恥ずかしがってもお姉ちゃんと喧嘩しても、その”こどもらしさ”はとんでもない説得力で、きっとこの力がなければ、この作品もこんなに心を打つことはなかったんじゃないだろうか。

ここぞという場面で、絶妙なタイミングで挿し込まれる音楽も。

BPM120を保ったまま緩やかに上下するベースラインを聴かされてしまったら、それはもう溢れる涙を我慢することなんて到底出来っこなかった。はー、ずるい。

めちゃくちゃ好きだったこのトラックも使われてる。最高。

普段は心の底に沈んでいる、あるいは忘れかけている郷愁を感傷を、これでもかというほどに揺さぶる作品。

素晴らしかったです。ほんとうに。

今回の公演で一新されたビジュアルに使われている、とてもうつくしい写真を撮影したのは#世界のハマタこと濱田英明さん。
この星空が、ほんとうに素晴らしくて。

今年の夏おこなわれる小豆島公演はあっというまに完売してしまった。
小豆島で、夏で、あの星空で、この演劇を見てしまったら、もうそれこそほんとうに、どうにかなってしまうんじゃないかと思う。
それくらい凄まじい力を持った作品です。

わが星、初演のDVDも販売されています。
たくさんのひとに観てもらいたい、そう思います。

あー、地球に生まれてよかった。

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