ちんぶろ

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かぐや姫の物語を観た

   

高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を観た。

ストーリーに対する細かな言及は避けておくけれど、宮﨑駿監督の『風立ちぬ』を観たときとは違って、今回は映画を観終わったあと、いろんな方の感想エントリを読みたくてしょうがなかった。
以下、観劇後に読んだブログ記事たち。(ネタバレ含)

『かぐや姫の物語』の、女の物語 – 戦場のガールズ・ライフ
『かぐや姫の物語』を観てきた(ネタばれあり) » 科学と生活のイーハトーヴ
2013-12-05 – 挑戦者ストロング
2013-11-24 – ROOTSY!

他の方が感想に書いているように、この映画を見て現実に生きる自分たちの姿を投影したというひとが少なくない。
わたしも例に漏れずなんとなくそう感じていて、お伽話を題材にしている『かぐや姫の物語』よりも、実際の人物を題材にしているはずの『風立ちぬ』のほうが、ずっとメルヘンの世界を描いていたのかもしれないなあ、と感じながら映画を観ていた。

古典『竹取物語』のラストは、大雑把に言えば“バッドエンド”なのだと思う。
単純に「月に帰ってしまいました」というのは要するに、手塩にかけて育ててくれた翁や媼と別れて、無理やり連れ戻されているわけだし。
でも、振り返ってみると、そのバッドエンドに至るまでのプロセスは“誰も悪くない”。
みんながみんな、自分の幸せと誰かの幸せを真剣に求めた結果のラストだと思う。

(以下、ちょっとだけ劇中のストーリーに触れてしまいますけれども)
さきごろ亡くなったチイチイこと地井武男が翁の声を担当しているということが頭から離れなかったわたしの中でのクライマックスは、翁が歩き始めた幼いかぐや姫を手拍子で呼ぶシーンだったという…(かなり冒頭で涙腺が緩む事態に)
それを差し置いても、さらっと描かれてはいるけれど、完膚なきまでに見事に愛情を描き切った、本当にぐっとくる素晴らしいいち場面だった。
結果的に、姫が月に帰ってしまうことになる一因をつくってしまった翁だけれど、それが私欲からくるものではなくて、かぐや姫を心の底から愛して慈しむがゆえの行動の結果であるということが、あのシーンが冒頭に存在することによってわかるようになっている。
だから、この映画は“誰も悪くない”。

誰も悪くないのに、その場では最善の選択だと思って選びとるのに、それでも必ず幸せになれるわけではない、そういう妙な現実感が全編に散りばめられている映画でした。

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